はじめに

スピリチュアルの旅を始めます!

このブログは、いわゆる「スピリチュアル」な世界を旅するものとなっています。

占い、ヒーリング、神社、前世、並行世界、夢・・・そんな言葉が飛び出してくるようなブログです。

私は、アクセサリー作家であり、かつては店舗などを経営していました。そして、今は西洋占星術とタロットを学び、不思議について研究しています。

どうしてこのブログを作ったのか?

私は、大人になるまで、スピチュアル的なことに、深く興味を持ったことがありませんでした。
ところが、20代中頃からフリーランスで活動する中で、偶然とは思えないような不思議な出来事に遭遇するようになりました。

そんな経験を通じ、「スピリチュアルな世界」は確かにあるのだろうと思うようになりました。

私自身は霊もオーラも見えないけれど、見えない何かの力が、ー直感、夢、感覚、シンクロニシティー、私をこの世界への興味へと誘ったのです。

やがて、私の中で、「スピリチュアルな世界」について、もっと本格的に知りたい。そして、それについて、発信をしていきたい、という考え方が、消えないぐらいに大きくなってきました。

スピに対する抵抗感

それでも、長い間、「スピリチュアルなこと」について発信することに抵抗を覚えていました。

なぜでしょう。

それは、「スピリチュアルなものを語る人は、世間からバカにされがち」という確かな先入観が私の中にあったからです。
一度、「スピリチュアルな人」として存在してしまえば、もう二度と後戻りができないのではないか。
そう思って二の足を踏んできました。

1995年の地下鉄サリン事件を知っている世代としては、宗教やスピリチュアル的なことは怪しく、忌むべき、嘲笑すべき対象だったのです

占い師や霊能力者といえば、今でも「嘘をついて脅して壷を売りつける」イメージがありますし、
占いを盲信している人は、自分に都合の良い情報しか目にしない、未熟な人に見えます。

創作物の中でもそのように面白おかしく描かれる、頭のおかしな「電波」さんたち。

そういうふうに思われたくないと、思っていたのです。

占い師になります、不思議な世界を信じています、と、家族の前で宣言できないです。

そういう「世間のイメージ」が、私が興味を持ちながら、どこか、スピリチュアル世界へ足を踏み入れることを拒んできました。
私はこっそりと本を読み、こっそりと占いへ行き、こっそりと学んできました。

その中で、気づいたのです。

世の中には、確かに、歪んだ形のスピリチュアルがあります。それは残念ながら、本当のことです。

不安に漬け込んで、相互依存に陥るような形のスピリチュアル、自分は特別な存在だと思い込みたい霊能者や占い師、そういった人たちはいます。

その原因は私たちが感じる「不安」という、言いようのない、底なしの力が、一人で抱えきれない時に、他者にすがりついてしまうからです。

現実から目を背け、逃げ続けている時に、「あなたは特別だ」と言ってくれると、胸に飛び込んでいってしまう心理はなんとなく理解できます。それだけ不安は恐ろしいし、現実は怖いのです。

しかし、本当は、人は、「不安」という感情を自分で乗り越えて、自立していかなくてはならないと思います。
それは一言では言えないぐらいに辛く厳しい事かもしれません。
自分を信じ、感情に飲み込まれず、自分の意思で生きることをしていかねばなりません。

正しい形のスピリチュアルは、その辛く厳しい「自立」を達成する、ヒントをくれるものです。依存をせず、依存をさせず、自分自身に目覚めていくこと、精神的にも、肉体的にも自立をすることだと、気づきました。

瞑想もそうだし、仏教の教えもそうです。悟りを開く、ということは、究極の自立なのだと思います。
占星術は、人間関係を生き抜いていくための戦略の地図になります

昔から、人が「自立をするため」の教えが、受け継がれてきているのです。

そういう、両極端の側面があるのが現在の日本におけるスピリチュアルであるのであれば、後者の方へ進みたい。

苦しみを克服し、自立したいと私は思うのです。
そして、自立に向かう人たちの助けになればと思うのです。

かつては、哲学も科学もスピリチュアルも、全て同じように研究されてきました。

その中で、目に見えず、未だ解明されていない不思議な世界だけが、怪しくて隠すべきものという時代は、きっと終わりが来ると思っています。

「スピは偏見にあう」という考えと、「それでも、目に見えない世界が確かにあって、それについてもっと知りたい」という自分を天秤にかけた結果、私は、このブログを書くことに決めました。

スピリチュアルなこと、目に見えない世界のことについて、100パーセント、信じ切って、現実を見ないわけではありません。
人間として、社会的に生きるための常識というものは、一つの目安として持ち続けるべきだと思います。

だけど、目に見えない不思議な世界は、確かに存在する。

それは、私の経験からもそう感じるし、消しても消しても浮かんでくる、胸の中の好奇心をもう、無視することができない。
それだけをコンパスに、

不思議な世界に魅惑を感じ、惹かれてやまない私の、小さな旅が始まるのです。

ですので、このブログのスタンスとしては、私が信じていることを、面白いと思ったことを書いて行きますが、それを信じるも、信じないも、あなた次第ということで、楽しんでいただけたら幸いです。